観光地の方がいいから、巴里1
 リュクサンブール公園へ行こう! 巴里3
 アールヌーボーは 巴里4
 97年冬の巴里は 巴里5

巴里の写真とか、載せちゃいましょう!
ということで載せたまま、早3ヵ月が経ってしまいました。
帰ってきてからだと、8ヵ月にもなってます。
しかし、今もまだ巴里の余韻の中にいる感じなのは、
旅行が、とても良かったってことでしょうか。
なぜ(?_?)巴里なの?  という話。
そもそも、なぜ巴里なのか?
理由は、行きたかったから、に他ならないのですが
一緒に行く友達などいない私が、『人と行った』
というのが、そもそも快挙です。
「行こ!」って言ってたら「行く」って事になったのですが、
たまには言ってみるものだなあ、と思いました。

それと巴里にした目的・理由その2は、
見て来たいところがあった、からなのです。
美術館もだけれど、街も(あそことか、こことか)
見てきたかったんです。

今ちょこっと「はまって」いる(か、どうかは?の)人物、
山本鼎ヤマモト・カナエ(1982-1946)さん関連なのです。
同時代の画家が、みなみな渡欧したように、彼も
1912年の夏に巴里へ来ました。

「パリ」を「巴里」と書きたくなるのは、
もしかしたら、そのためかもしれないですね。

住んでいたのは、遠い昔・第一次大戦以前の話です。
彼の手紙(『山本鼎の手紙』という本が、
私の小さい頃に出版されていた)を読んで
興味を持った、という事なのです。 
たぶん。  そういうことです。

当時渡欧には、
「船で」と「シベリア鉄道で」があったようですが、
鼎は船でした。
ので、巴里へは「マルセイユ⇒リヨン⇒パリ/リヨン駅」
というコースで入りました。

と、文字文字ばかりだったので、画像を。 (2002/1/17)

 

リヨン駅。
とてもとても暑い日でした。
GARE DE LYON。写真撮ってたら、
軽く迷子になりました。 

 

リヨン駅外観写真
リヨン駅の時計塔部分と、もう1個の写真をくっ付けました。
同位置で撮ったものなので、左は遠近法バッチリですね。
暑くて暑くて、朦朧としていた?おぼえてないぞ!って…

 

駅前広場。「鼎さんも見たのかなあ」などと話す。
実は、リヨン駅に来る前に、だいぶ冒険したので
疲れてきているんです、私は。迷子にもなったし。
同行者は、いたって元気。
駅構内1。人がわんさかです。                  
次回はここから巴里入りとか?!
そういうのも、いいな。いいな。いーいーなぁ。

 

駅構内2。今はTGVがいたりして。
その昔は? 汽車とかかなあ。

 

駅といえば
モネの絵に「サン・ラザール駅」という作品があるけど、
現在のサン・ラザール駅もこんな感じなのかなあ。

 

サン・ラザール駅

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